『月の子』の 「暗示的表現」

 

『月の子』のラストは
『月の子第2話』でショナが出た次点で決まっていた───。
これは清水玲子先生ご自身が何度もおっしゃっていることだ。
うん、この伏線はすごいかも。
 
清水先生は、直接テーマを自らはあまり語らないという
クールな方なのですが 。
コミックス2巻(文庫2巻)のジミーとショナのやりとりが、
もうすでにラストを語っていると思うのだが?
 
ショナにキスされると幼魚になるジミー。
自分からキスしかけといて、ジミーが幼魚に変わったとたん
吐く、ショナ。
この2人が一緒にならないと地球が滅びる。
 
私はしっかり捕まえとかなきゃいけないのは、
ベンジャミンではなく、 ショナの方だ 思うのだが。
 
そして、ティルトの契約。
「セツにショナの卵を産ませて欲しい」
「その代わりにこの地球を滅ぼす」と。(コミックス4巻・文庫3巻)
セツのみを愛し、セツしか愛せない、そんなティルトが壊れていく過程。
 
そうして目覚めたセツは、何故ティルトが消えたか知らぬまま、
彼を探しているうちに、ショナに出会い、ひかれていく。
そしてバランスは崩れていく。
 
このからみきった糸。
ほどくのはカンタンだ。たった1つのことさえ叶えば。
でも、「契約」で全てがねじれてしまった。
 
マンガって絵じゃないですか。
しかも主人公は見た目は同じの3つ子。
「この絵は本当は誰?!」とか思うと。
 
例えば、3巻(文庫2巻)でショナに巻き付いていくのは
私にはジミーに思えない。
ショナに巻き付いてからめとっていくのは・・・。
 
しかも、ショナが最初に夢に見ていたのはセイラさんだったはず。
いつからそれが「ベンジャミン」になったんだろう。
「君の夢ばかり見ているよ」それは本当にベンジャミン本人か?
 
コミックス10巻P68(文庫6巻P202)6コマ目のホセって、
「誰かさんに似てないか?」とか邪推したり。ホントに気のせいか?
 
昔の童話とか・・・グリムとかアンデルセンとか古典とか宮澤賢治とか。
いろんな解釈されて、それぞれ発表されているじゃないですか。
清水先生は、そういういろんな解釈のとれる「暗示的作品」を、
「マンガ」という媒体でおこなった。
絵で。しかも3つ子で。
 
『月の子13巻P42』(文庫8巻P138) 4コマ目のセツ。
あれは前のコマからさっするに、
ティルトは自分と重ねているぞ。どう見ても。
「セツは僕なのだから」
そうして自ら手を汚し、汚れのないセツを守り続け、
セツが女性化することによって、自らもそうなりたかったと、重ねる。
 
そして。幼魚←→女性体と変化を続けるベンジャミンに
おたおたする周り。
 
それも画力のなせるわざだ。
小説ではここまで説得力出来まい。
 
しかも。『月の子』読んで、アンデルセンの「人魚の姫」を読むと。
おっもしろいのですよ───。
アンデルセンにはもしかしてこういう解釈もできるのではとか。
 
では、『月の子』は、誰が「人魚姫」で誰が「王子」か。
(これは語ると長くなるなぁ。両方の立場のキャラもあるし。 )
すっごく奥が深くなるんです。
 
私の少女時代、「人魚の姫」を扱ったマンガや小説って、
けっこうあったんですね。
でも自己中主人公が一人悩んで最後はハッピーエンドってのばっかりで。
その点『月の子』は。主人公が5人ですからね。
だから安定していたのでしょう。
作者が「テーマのためならどんな残酷な結末も描く主義」の人ですしね。
 
それに、一体誰があやつってて、誰があやつられていたのか・・・。
今でも私、悩みまくる。
『月の子』のラスト、本当は15巻くらいにして欲しかったなぁ。
13巻は凝縮過ぎかも・・・。
 
それに「複数のラスト」も気になるし。
「複数のラスト」については、「意図的」と先生はおっしゃってましたが。
あの暗示にあふれた展開も、清水先生の狙いだったんでしょうか。
 
とにかく、読むたびに、色が、変わる。
不思議な、幻想。

(2001.4/21)

『月の子──MOON CHILD──』  
花とゆめコミックス 全13巻  
白泉社文庫版 全8巻  
清水玲子

   

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