もう、私なんて、誰からも必要とされない人間だ。そう、思っていた。
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晶と心中しようとした私を、親にまで見捨てられた私を、碧は命をかけて救ってくれた。
そして。碧は植物人間になった。
全て、私のせいだ。彼だけが救ってくれたのに。その彼は、もう、目覚めないのかもしれない。
そして。聡も死んだ。柏木の、せいで。
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その日も、碧のベッドに付き添っていると、2人の看護士に追い出された。戸の隙間から、声がもれていた。
私たちは、学校で、日本語のほかに、日常会話レベルの英語は習っていた。だからドナーたちの会話にもついていけたのだけれど。だから、英語はわかる。
ここはアメリカの病院だから、英語圏。
「いくらお金持ちで国の偉い手さん、軍人さんだっけ? の知り合いだからといって、ぞろぞろ来て、大騒動ばかり起こして、何もしようとしないのはねぇ」
「じゃまなだけだわ」
「ま、うちら、お金はもらっているし、文句は言えないのだけどね。ここまで大騒ぎされてもねぇ」
あのオバサンたちは、碧の身分、彼がタイの皇太子ということは、知らされてないのかもしれない。極秘だから。でも。
身分なんて、クソ食らえ。
何もしようとしない。とあの女たちは言っていた。私はずっと付き添っているのに。私だけじゃない、ドナーのみんなも、付き添って、碧のそばについているのに。何が足りないのだろう。
その夜、私はなかなか寝付けなかった。何か私に出来ることはないのかと。
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「さあ、出て行って」
その翌朝。いつものように、碧に付き添っている私を、看護士は病屋から追い出した。
「あの、何か私でもできることがあれば」
「若い女の子の手伝えることなんてないわ」
「彼のために何かしたいの」
「出来るわけがないわ」
「お願い」
「でも、……じゃあ、あなたはちゃんとできるのかしら?」
いろいろな器具を置いたテーブルを看護士は部屋に押し込んだ。
「じゃあいらっしゃいな」
そう言うと、看護士は碧のベッドに向かい、彼の服の胸をはだけた。
「出来るわけがないわよね。あなたみたいなおじょうさんが、お友達の男の子の体を拭くなんて」
私はパニック状態だった。顔から火が吹きそう。
それでも震えながら、タオルに手をのばそうとして、しゃがみこんだ。ひざが割れている。
そんな私を見なから、看護士はふっと碧を見つめた。
「でもこの子は、誰かがそれをしてあげないと、体を清潔に保てない。数時間ごとに体を動かしてあげないと、床ずれを起こす。点滴のチェックなんて、今は機械が教えてくれる。付き添いの看護なんて、案外地味なものよ」
そういって看護士は作業を続けた。
「それが碧に必要なこと……」
迷ってちゃ、いけない。やらな、きゃ。
男の子にさわるのも、見るのもイヤだった。ましてや体を拭くなんて。
でも。
「やります」
私が、やらなきゃ。
私は看護士に手順を教えてもらい、そして、いろいろ必要なことを少しずつ教えてもらった。私にも、出来ることを。
それは、とてもキツイ仕事だった。肉体的にはもちろん、それ以上に精神的に。
でも。私は彼に少しでも早く、目覚めて欲しかった。
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ねえ碧。あんた私に生きろって言ったよね。
そのあんたが半分死にかけているなんて。
あんたは生きなきゃいけないのよ。
生きなきゃいけないの。
そのためだったら、何だってするわ。
私はじゃまな髪を、みつあみにたばねた。
それは決してキレイな仕事ではなく。
むしろ今までだったら大キライって放り投げたことだけれど、私は続けた。彼が目覚めるその日のために。
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楓が守と一緒に、よく病室に来た。
楓って、昔、神淵島では、しょっちゅう桂と守と一緒に、碧をいじめていたのに。
碧がこの状態でいるのを見て、碧の命づなのチューブをはずして、殺そうとしてからだ。楓がこの部屋によく来るようになったのは。
脳を取り除かれた状態で生かされていた桂を、楓は殺したのだと聞いていた。
「体だけ生かしてて何になるんだよ! かわいそうだよ…。いっそ殺してやれよ」
それを止めた由。
ただ、臓器を生かすためだけに、桂は脳を取り除かれた状態で、肉体をキープされていた。それを見かねた双子の兄弟の楓は、桂の命を止めたのだという。
だから、碧と桂が重なって見えるのか。
そんな楓と守のやりとりを、よく聞くようになった。
そして、碧に気づかってくれる。本当に心配しているのだ。口は悪いけどね。
「大変だろ、まゆ。よく続くよな」
「ううん。そんなことないよ」 碧の苦しみにくらべたら。
楓が私に聞いた。晶がミラーの元にいて平気かと。平気じゃないよ。
でも、碧のためにも私は変わらなきゃ。
碧が目覚めた時、ううん、彼が植物状態の今だって、彼に、こんなバカな女のために僕は総てを失ったのか、って、失望させないために。
私は付き添いを続ける。
私だけは、ここで、彼の目覚める日まで、ううん、目覚めても全身に深刻なマヒが残るかもって聞いた、彼が自由に動けるまで。そして、彼の失った時間の分も、苦しみの分も、私は彼を助けなきゃ。
どこまでできるかはわからない。でも私が、しなきゃ。
碧、お願い、目覚めて。
あんただけがあの地獄から、私を救ってくれたんだよ。
(Fin)
(2006年12月21日UP。)
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2004年秋、『輝夜姫』クライマックス時に書いたものです。
語られなかったまゆの葛藤に、
きっとこれに似た風景があったと思うんです。
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