『月夜水の詩』HOME > 『深く語る。』 > ネタばれ危険ゾーン > 1 |
1 .残酷かもしれないラスト。 今、封印を解こうと思う。今まで言わなかった、私の真実。 まだ、これを言っていいかわからない。でも、今なら大丈夫かもしれない。 十余年の沈黙を解いて。書いては没っていたことを。 「月の子」のラストには、いくつかの解釈があって、 1.ひとつは、ハッピーエンド。 2.もうひとつは、ジミーたちの世界は幸せなんだけど、 私たちの世界は残酷な現実であると。 3.もうひとつは、「幸せな数年後」は、全てはジミーの夢で、 バクハツはおきて、死の星になった星で、 ジミーとセツとティルトは、幸せな夢を見続ける、というラスト。 他にもあるけれど、大筋は、この3つだと思う。 3.は、私が「月の子」のラストを読んだ夜、何となく感じ、実はその夜、 怖くてたまらなかったのだ。 何故なら。アートの表情と言動が変なのだ。 だから、これは、清水先生の意図なのだ。あるいは、カリスマか。 だって、怖い夢を見ている人に、「ねむって忘れろ」なんて言うのは、変なのだ。 あまりにも、幸せすぎて、怖いのだ。 むしろ、幸せな未来のほうが、ジミーの夢なのではないのか? 「月の子」の複数のラストは、明らかに意図なのだ。 ハッピーエンドはおかしい。 でも、ハッピーエンドと、信じたい、と。 「月の子」がアンハッピーエンドの物語なら、全てのつじつまは合うのだ。 惨劇は止められなかった。 事故はおきた。 地球は滅んでしまった。 そして、滅んだ地球で、ジミーとセツは、幸せな夢を紡ぐ。 奇跡は起きなかった。 でも、それはにおわされているだけだ。読者はハッピーエンドと信じたい。 セツが死んだから、惨劇になった。 セツはティルトを残して死んではいけなかったのだ。 ショナと出会う前に、ショナの卵を産むことを決められてしまい、 それが成就したから、地球は滅んだ。 でも、それはあくまでも、もしかして、の話。 これは、神業というか、何と言うか。 もし私にとって、「月の子」がハッピーエンドだったら。 私はこれほど、「月の子」に魅せられていただろうか。 答えは、否、である。 セツが死を選んだから、こんな残酷なラストになった。 全ての悲しみはセツが始まり。だから、自ら死んではいけない。 「月の子」のハッピーエンドを願いつつ、 実はこちらに、強く感じるものが、あったのだ。 私は表面上は「月の子」はハッピーエンドと信じてる。 でもどこかでアンハッピーエンドと思っているから、 キャラたちの罪を、深く深く、心に刻み付けているのだ。 キャラたちの重すぎる罪。願い。 そして、「生きろ」というメッセージ。 清水先生は、あまり正論を言わない人だと思う。 むしろ、正論をいったがゆえ、残酷なラストを迎えていることも多い。 そして、残酷なラストを迎えながら、それでも「生きろ」と、 言っている気がするのだ。 どこまで先生の意図かはわからない。無意識やカリスマかもしれない。 でも、そんなところに、私はひかれているのだ。 元来、清水作品はそんなに単純にわかりやすい作品ではないし、 人の心の闇を、深く描いている。 一回二回読んでわかるような、そんな単純なつくりをしていないのだ。 それが独特の、作風。 だから、好き嫌いが分かれるのだ。 単純明快な話が好きな人も多いから。 清水作品は、はっきりしないところもあるし、 決して明るくはない、その重さが、好きか嫌いか別れる。 主人公も脇キャラも、絶対的に正しくはないのだ。 そして、絶対的に間違ってもいない。 「輝夜」もそうなのだろうか。 なにかまだ、他に解釈があるのだろうか? どこまでが先生の意図かは、実はわからない。 誇大解釈かもしれない。 でも、こんなすごい作家、私は他に知らない。 (2005.4/4) |