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現実のクローン・2(輝夜姫)

 
 

2005年3月10日の朝日新聞によると、
「国連総会は8日、人間のクローンを禁止する宣言を
 賛成84、反対34、棄権37の賛成多数で採択した。
 棄権を除いても30カ国以上が欠席、
 このテーマでは、世界が分裂状態にあることを示した。
 法的拘束力のない宣言の採択に至った背景には、
 生命倫理を巡る各国の考えの隔たりがある。
 日本は「宣言は治療目的のヒトクローンづくりを認めておらず、
 加盟国の様々な意見が反映されていない」として反対した。」
とあった。
 
クローン人間禁止宣言への主な賛否は、
米国が宗教的に全面禁止を主張して「賛成」、
反対国は、英国、日本、中国、韓国、タイ。
ロシアは賛成にも反対にも棄権にも載っていないから、欠席したのだろうか。
日本は、クローン胚研究は認めるべきだとの「部分禁止」の主張だという。
 
 
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『輝夜姫』の物語と同じことがおこっても、クローンのドナーが生まれても、
おかしくない時代になった。
「人間のクローンは全面的に禁止すべき」だという、米国のサットンと聡。
「人間のクローンを全面禁止するのは反対だ」という、
英国のミラー。中国の晶。韓国の楓。タイの碧。
憶測では「どちらとも答えなかった」らしい、ロシアの守。
 
私は先ほど『輝夜姫』のドナーの本体の国のみをあえて書き記したが、
日本が「(クローン人間禁止は堅持したものの、クローン胚の)医療的な研究」
を求めたこと自体、ドナーの生まれる可能性を端的に表したものだと思う。
 
つまり、体のスペアは欲しいのだ。
 
今は、生まれる前に卵細胞を分割してスペアを作らなくても、
体細胞からもクローンを造ることは可能。
 
『輝夜姫』で卵細胞型クローンとして生まれたと明記されているのは、
本体が18歳の晶、桂、楓のみなので(そもそもジュリアンが人工授精で
生まれたわけがない)、2023年が舞台の『輝夜姫』、日本の孤島で
始まっていても、おかしくはない。
 
 
人がクローンを求める時は、どんな時か。
切羽詰まれば詰まるほど、「命」にかかわること。
昔の小説では、体が老化した時、脳、あるいは記憶を、
新しいスペアの体にうつして長命を生きるという話も多々あったし、
医療目的、治療目的を突き詰めれば突き詰めるほど、
自分(オリジナル)のスペア(交換部品)という色合いが濃くなる。
そして、クローンがオリジナルのスペアであればあるほど、
クローンは人間としてみてもらえなくなる、道具になって、
人格を否定されてしまうのだ。
 
 
私はクローンにあこがれる。一卵性の双子にあこがれる。
その気持ちに変わりはない。
人は誰もが、自分というオリジナルを探すのではないか。
だから、全く同じ意識を持つ「対」に、全く同じ遺伝子を持つ「対」に、
あこがれ続けるのではないか。あこがれ、求め続けるのではないか。
クローンを求める、研究する根源も、
同じ体を、遺伝子をもつ「対」にあこがれるから、
求めているからなのではないか。
本当に純粋に思っていた研究者も多いのだろう。
 
 
でも、ここで、ここにいたって、さらに深刻に直面した、禁忌となる。
「医療目的」。つまり、体のスペア。
クローンを人間と認めない。自分の体にして、自分を長生きさせる。
クローンは肉体のみの道具。
清水先生の予告は(『輝夜姫』でドナーの話が始まったのは1995年)、
的中した。
 
 
人の力が加わると、利害になってしまう。
倫理に反してしまう。
一卵性の、自然に生まれた双子は、本当に本当に聖なるものだったんだ。
 
 
そして。「もう1人の自分」としてクローンを誕生させたら。
人は何を望むのだろう。きっとそのクローンに、
自分を重ねるだろう。自分の意志を継いでもらうことを
願うだろう。そのために生まれさせたのだから。
そして、肝心なところは自分に譲れと願うだろう。
人は他の人にはなれない。クローンも、同じく。
 
 
クローンの研究は深く深く魅惑的だ。
でも、果てしなく禁忌の世界だったのだ。
『輝夜姫』に出会わなければ、そんなこと、気付きもしなかったのだ。
 
 
たとえ肉体の一部でも、内臓の一部でも、ヒトクローン胚として、
クローンを造ってもいいのだろうか。
いや、そもそもそういう誕生のしかたのほうが、
倫理的に問題ではないのだろうか。

 

(2005.3/14)
『輝夜姫』清水玲子 花とゆめコミックス全27巻

 

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