『月夜水の詩』HOME > 『深く語る。』 > 「現実のクローン」(輝夜姫)

 

 
 
 
現実のクローン
 
 
この文は、「現実」のクローンの話と、清水玲子のフィクション漫画『輝夜姫』を重ねて書きます。
 
 
「現実の話」
 
 
 最近、クローンについての話をよく聞きます。
「クローン人間が生まれたかもしれない。」
 死んだ子供のかわりに、その子と同じ遺伝子の子供が欲しい。
 自分に生殖機能がないから、子供としてクローン人間が欲しい。
 そして−−ー永遠の命が欲しいから。
 
 
 でも、その研究の間にはたくさんのギセイがあるらしい。
 
『どのクローン動物もほとんど100%のクローン動物が、
 何かしらの異常をもって生まれてきているんです。
 ということは、人間の場合も例外ではなくて、
 生まれてくる人間のクローンの赤ちゃんは必ず異常をもって生まれてくる。』
    (『NHK・クローズアップ現代』より。)
 
 
 そうして、たくさんの人間を実験にして、失敗して。
 実験として造りだされ、生まれる前に死んだとしたら、それは殺人より酷いことじゃないか。
 生まれてきても、人間として扱ってもらえるのか。
 そして人為的なことにより、生まれてくるとき障害をもつであろうとわかってて、造り出すのは、まるで、ゲームだな、と。
 
 
 同じ番組で、「クローン胚」というのも出てきました。
『クローン胚は、女性の胎内に入れると人間になるけれど、そうしなければ、臓器としては造りだせる可能性がある。
 クローン人間を造るのは禁止しても、クローン胚の研究は認めている国がある。』
    (『NHK・クローズアップ現代』より。)
 
 
 移植臓器として扱うということは、「本体」本人の所有物でしかないということだ。
 命ってどこから始まっているのだろうと思いました。
 昔、心の臓は、心だといわれていました。
 脳も同じ。
 つくりだされた臓器。
 それは本当に「人間」ではないの?
 「脳」だけが「特別」なの?
 
 そして。
 クローン胚に慣れてしまえば、
 クローン人間も、クローン胚と同じに扱われるようになるかもしれない。
 クローン胚に慣れてしまった人は。
 いくらでも言い訳はできるのだから。
  
「フィクションの漫画の話」
 
 
 いずれ未来、『輝夜姫・12巻』のように、
『××の法では15週未満の胎児は「人間」とはみなされない。
 ただの「胎児細胞」として、「中絶」も「取引」も問題なく行えるのです。』
(※フィクションの話です。現実ではありません。)
 
 そんな未来もありうる。売り買いの口実なら、いくらでも。
 
「現実の話」
 
 
 造り出されたクローンは、そしてクローン胚は、「本体」のそして「創生者」の所有物になってしまうのか。
 要るところだけ取って、不要なとこは捨てて(殺して)しまうのか。
 
 そして、人を実験として扱っていいのか。
 クローン胚と胎児、それは環境の差でしかないのに。
  

 「同一の遺伝子」に深く興味をもつ私。
 現実にくり返される実験に複雑な心境の私。
 
 自分自身、この件に戸惑っている。
 
 
 それでもきっと私はあこがれてしまうのだ。
 「同一の遺伝子」の存在に。
 ただの「あこがれ」だけではなく、「裏」や「真実」や「現状」「未来」も見るべきなのに。
 
 
 否定しきれない自分がいる。
 どこかで夢を見ている自分がいる。
 そして多くの人が私と同じように見つめているのだと思う。

 

(2003.3/10)

   
 
『NHK・クローズアップ現代』参考。
 
『輝夜姫』1〜20巻/以下続刊
清水玲子/花とゆめコミックス
  
 

  
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