最近の「輝夜姫」を見ていて、何が正しかったのか、わからなくなった。
もしかしたら、先生の中でも問いと答え、それに反すうした問い、と、
断定した答えを出していないのかもしれない。
様々に視点の変わる「輝夜姫」は、「作品としてまとまっていない」という人もいる。
でも、一本道だったら、こんなにテーマ性はなかったと思う。
前読んだシーンに反すうした新しいPでの、形を変えた、問い。
あのときの感想は本当に正しかったんだろうか。
最近の「輝夜姫」には、それが顕著にあらわれる。
臓器提供カード。
私はもうこれに「Yes」と言うことは出来ない。
誰かの臓器をもらうことも出来ない。
どんなに科学が進んでも、生命を作ることは出来ない。
科学が進めば進むほど、生と死はあいまいになっていく。
でも、生命は作り出すことは出来ないし、
つくりあがったものが生命だとすれば、もうそれは生命に他ならない。
もし、自分の大切な人が、他の生命がつくりだしたものを使わないと生きていけなくなったら。
そしてその方法があると知ったら。
その方法を望んでしまったら。
人は何をするのだろうか。
ドナーの人の死を望むかもしれない。
死んでくれないと、臓器は手に入らない。
ならばその臓器を望むことは、人の死を望むこと。
輝夜姫についてあまり知らない父が、TVを見ながらよく言う。
臓器提供、臓器移植は反対だと。
今でも闇のルートで、生きた人から臓器を奪うための人身売買があるという。
それが父の憶測なのか、事実なのか、今の私には、知るすべはないが。
死ぬその時、ドナーはまだ生きられたかもしれない。
技術が進めば進むだけ、その方法もあったのかも知れない。
でも生きているうちから刻々と移植のための大プロジェクトが開始されていく。
そして。
私は今までジュリアンのことをわりと美談的に受け取っていた。
でも、わからなくなってしまった。
大切な人のため。親は祖父母は、自分の命を縮めてその子にそれを与えはしないか?
ミラーの2つある腎臓のうちの1つをジュリアンに移植させたのは、ジュリアンの意志ではない。
だが、余命があまりないといって、自分の目をミラーに受け継がせたのは、ジュリアンの意志だ。
そんな混乱がおきまいか?
再度それに次ぐ問いかけを「輝夜姫」でされた時、わからなくなってしまった。
本当にそんなこと、やってもいいのか?
命を次がせるために、命を捨ててもいいのか?
たとえようのない悲劇。
答えは出さない。問いかける。
そしてそれを反すうして問いかける。
先生自身が自分の前に描いたことに、問いなおす。
改めて清水先生は天才だと思った。
PS 「輝夜姫」って、少女マンガというより、
SF映画、SFドラマに近いよなーと。
今月号、心底思いました。
漫画という形をした、SF映画?
すげーよ。
(2003.8/27)
「輝夜姫」清水玲子 花とゆめコミックス
1〜21巻以下続刊+ララ掲載分
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