私にとって、ジミー=ベンジャミンの呼び名は、
人魚としての名がベンジャミン、
人間として生きることを選んだのがジミーだと思っている。
だから、ショナのように小さな子供がジミー、大人の女性がベンジャミンという考えは今はない。
ベンジャミンが本名だと思っている。
アートにとってジミーはジミー。
ジミーと名付けたのはアートだ。
でもやっぱり大人の女性がベンジャミン。
ショナにとってジミーは子供。
ショナにとって大人の女性がベンジャミン。
でも、ティルトにとってはベンジャミンが本名。
ジミーは蔑称。(軽蔑の目。)
セツにとってベンジャミンが本名。
ジミーは愛称。
(記憶喪失の間、ジミーはベンジャミンと呼ばれるの、嫌がってたし。)
確かに、セツに対する「お兄さん」発言で、
しかもショナの前で言われて、セツはとてもとても傷ついたけど、
記憶を取り戻したベンジャミンは反省してたじゃない。
(私はそう思う。)
ザイコフに、「ムッシーナ」と訂正した。
あの時のジミーは、きっとセツのことを反省していたのではないか、と思いたい。
「お兄さん発言」は、本当に残酷な言葉ではあったけど。
でも。
ベンジャミンはそんなに悪い子だろうか。
ベンがアートの元にいても、実害なさそうなのに。
プラトニックだし。
「月の子1〜4巻」で、さんざん人魚たちは「ベンジャミンは危険」と言っているわりに、その後はその話はあまり出て来ない。
グラン・マは、何でセツにパスポートを渡したのか、不思議だ。
あくまで未成魚のセツは、人魚としては異質なのに。
ジミー(ベン)とショナだって、ショナ側にもかなり問題もあると思う。
「ぼくはショナを好きだよ」「でも、ショナはぼくを好きなわけじゃないんだよ」
「ショナは僕が「ベンジャミン」っていうキレイな女の人になったから僕を好きなんだよ」
ショナはベンジャミンにキスして押し倒しておいて、彼女がジミーに戻ったとたん、吐くし。
それじゃ、ジミーだってショナを信じられなくてあたり前。
ロシアでティルトの計画を知った時も、セツにティルトのことを「止めさせて」と言えたかも知れない。
だって、ティルトの行動は、全てはセツのためと見抜いてしまったのだから。
でも、セツには言わなかった。
そして。
人魚の伝説を信じて。
自分がアートを好きになったから、ロシアの事故でたくさんの人が死ぬ。アレクセイ、コンスタンチン、ウラジーミル、その他たくさんの命が、死ぬ。
もう自分が死なないと惨劇は防げない。
そう思って、自分を殺そうとする。全てを失っても、たくさんの命を守りたい。
たくさんの命のことを本当に思っていたのは、主役5人のうちでは、ベンジャミンとアートだ。
「君たちがまねいているんじゃない」それは気安めにすらならない。
だって、ティルトがまねいて、計画を実行しているのだもの。
誰も、ティルトが危険だとは、思わなかった。
人間に憑依したティルト(ギル)。
それはある意味、『人間と人魚がいっしょになった』と言えなくもない。
でも、ベンジャミンは全てを背負い込んで。
ショナといっしょになれないなら、自分を殺すしかない。
そうしないと悲劇は防げない。そう思って。
彼女は地球を、ロシアを守ろうとした。
手段はまちがっていたのだろう。
でも、その決死の思いが、私は好きだ。
そして。「よかったね、セツ」「今度は君が卵を産む番だね」
ジミーはもう、許しているのだ。
ベンジャミン−−いや、ジミーはとても成長したと私は思う。
(2003.4/20)
「月の子−MOON CHILD−」
花とゆめコミックス全13巻
白泉社文庫版全8巻
清水玲子
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