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清水玲子作品における狂気・4(『秘密』)

「現実と真実」


 

最後に、『秘密』について書きます。
今まで書いてきた3つの文は、
「狂気」「自我」ですね。
そしてその最たるのものが、
ここに書く『秘密』=「真実、事実との認識のズレ」についてです。
 
 
その人その人の現実があって。感じ受けとめるものがあって。
でもそれが「真実」とは限らなくて。
『秘密』はとても「狂気とその狭間」を扱っていると思う。
自己の認識と事実のズレ。「見る」という「感覚」。
 
 
プロローグ的な「1999」。
それ以降の「第九」シリーズが、
「狂気」というものを正面からとらえてる。
人は何を見、何をどう感じていくか。
 
まあ、貝沼とか、事件とか、捜査をおこなうことで正気でいられなくなる、
それも、正気と狂気の狭間ではありますが、
MRIスキャナで見た各々の人の「視覚の受けとり」こそが、もっとも
正気と狂気の本質を表現しているように私は感じます。
 
 
人によって物の見え方がちがう。
人によって解釈や受け取り方がちがう。
その人その人の事実と真実は、ちがう。
それこそが、自我というのもの、自我のズレ(=すなわち、狂気の本質)を
表していると、思っています。
自分と他人は違う、すなわち、アイデンティティー。
 
「狂う」ということは、
アイデンティティーが、本人ではコントロール出来なくなる状態なのでは
ないかと、書きましたよね。
「その人が見たもの」それは本当の真実ではない。幻覚かもしれない。
しかしその人にとっては、真実である。
それをこの作品では認めてる。
 
 
「コツはな、「目に見える物」を見ないことだ。
 こういう‥‥目に見える物耳に聞こえるもの
 そういう表面だけにまどわされないことだ。
 オレ達が「見る」のは、その奥にあるものだ。
 人は心に思った本当のことは言わない。表情にも出さない。
 表面の裏にある背景を考えろ(『秘密』1巻P120)」
 
 
表面的には『秘密』の猟奇的の面が、狂気かと思えるかも知れません。
でも、『秘密』の取り扱っている「狂気」は、もっと深い、
狂気の裏そして表の本質だと思います。
とても、深く、深く、深く。
人の意識そのもの。
 
 
人は何を見、どう受けとめていくのか。
自分の見ているものと他の人が見ているものは
果たして同じものなのか。
そして、その違いこそが、「自我」かもしれない。
あるいは、「自我をコントロール出来なくなった狂気」かもしれない。
とても深い、物語です。
 
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「狂わない」から始まった「清水作品における狂気」。
それは、「自己の認識」という域、あるいはもっと深みへ
たっしていきます。
清水ワールドはどんどん深くなっていく。
現状に甘えず、次々に深い作品を描いていく清水先生が好きです。
『秘密』はもう神技だと思います。
これからも期待しています。

(2004.2/5)
 
「秘密―トップ・シークレット―」清水玲子
1〜2巻白泉社ジェッツコミックス(A5版)


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